コラム~成蹊ラグビー
「赤い旋風」~帝京大学との思い出
2009/11/12(木) 11:23
当時の帝京は『赤い旋風』と言われ、非常にリズミカルな展開ラグビーを主体とする素晴らしいチームであった。今も素晴らしいチームであることには変わりはないのだが・・・、なんとなく『良い匂いのする』爽やかなチームでした。
1977年に対抗戦グループの準加盟校として参戦してきた帝京大は、中興の祖とも言える増村先生とともに当時は水上監督(早大出身)の指導により、その後瞬く間もなく強豪校に仲間入りしていきました。この水上氏は後年に東大が日体大に勝った時の監督でもあったのでラグビーの指導者としてはかなり優れた方であると推察できる。そんな監督の下、対抗戦における『早・慶・明・日体』の牙城を崩し、昭和59年には早稲田を、翌年には明治を撃破して交流試合に臨んでいった時期でした。当時のキャプテンは、田村さん、塚本さん、田中さんなど歴代の主将はかなりの人格者であると感じておりました。ルーツ校の慶応が対戦を拒否していたこともあり、常に対抗戦4位として交流試合ではリーグ戦優勝校である法政大に2年連続対戦し、2年連続劇的な勝利を収めました。SHの池澤、SOの渡部、両CTBの影山と相澤・・という黄金バックスの名前がスラスラ出てきます。早くて上手くて・・本当に凄いバックス陣でした。そんな帝京大の不幸は、関東の第4代表は必ず関西の第1代表と対戦する決まりになっていたので、大学選手権1回戦では当時最強の同志社大との対戦を余儀なくされたことでしょう。平尾・大八木等スーパースター軍団が史上初の大学選手権3連覇を成し遂げた時でしたから、さすがの帝京も力及ばず、正月を国立で迎えることはできませんでした。しかしながら、その敗戦さえもすがすがしさを感じさせる本当に気持ちの良いチームでした。
なぜ私がそこまで帝京のことを覚えているのかと言うと、当時の帝京と成蹊とは非常に親しい関係にあったからです。なぜなら、小学校から高校まで成蹊で学ばれていた池田智さん(昨年の成蹊大監督)の関係も有り、智さんを介しての交流が盛んでした。夏合宿には智さんと共に彼らが成蹊の宿舎に遊びに来ていたし、お互いのクラブTシャツを交換した記憶があります。成蹊は熊・帝京はゴリラがマスコットとして描かれており、それぞれ非常におしゃれな時代でした。
今の現役学生に当時の関係を説明してもまったく理解が及ばない程に双方のラグビーには実力差ができてしまったのは残念です。また、出身校で重なる者同士もいない現状でお互いの交流を深めることは難しいかもしれませんが、いつかまたどこかのタイミングで両校の関係が深まることを願ってやみません。
それには、やはり成蹊がもう少し強くならないといけないのでしょう。帝京から『成蹊も少しはやるなぁ』と思われるようになったときに昔のような関係が復活するかもしれません。
そのためにも今度のゲームでは、帝京大に一泡でも二泡でも吹かせて欲しいものです。