コラム~成蹊ラグビー

秩父宮ラグビー場

2016/10/25(火) 00:30

言わずと知れたラガーマンの聖地である

僕がこのラグビー場を初めて訪れたのは1971年日本vsイングランドのテストマッチ3vs6という歴史的な大熱戦を観戦した時である

当時8歳
観客が入りきれずに芝生のグランドまで人が溢れていた・・・

試合内容よりも隣の席に座っていた国歌を演奏する楽団の人のトランペットが妙に気になってしまい、
そのトランペットの吹くところをトランペットから抜いてしまい、楽団員を慌てさせた挙句に父親にこっぴどく怒られたことを覚えている

その後、少年ラグビースクールと言うのが秩父宮で行われていたので父親に無理矢理連れてこられ入会したが、仲間に馴染めずに嫌々通っていた・・・おそらく、通ったふりしていかなかった方が多いと思う



秩父宮ラグビー場に関連したことをを調べてみると・・・

戦前におけるラグビーの試合は明治神宮競技場(旧国立競技場の前身)で行われていたらしい

戦後、焼け野原となってしまった東京でラグビー専用のグランドを造ろうということとなり、米軍に接収されていた青山の女子学習院の跡地を譲り受け、1947年に東京ラグビー場として開場となった 

秩父宮ラグビー場と呼ばれるようになったのは1953年に薨去された秩父宮壅仁親王を偲ぶために改称されたのだ

秩父宮殿下は日本ラグビーフットボール協会名誉総裁であったこともあり、建築中から足繁く現場に通われて工事関係者に色々とご助言をされていたそうである


秩父宮殿下にはもう一つの逸話がある
関西地方へ視察された際に、現在の近鉄電車に乗車中、ここらへんにラグビー場を造ったら良いのではないかとの発言があり、それが今の花園ラグビー場〈東大阪市)の開場のきっかけとなったらしい

そんな秩父宮ラグビー場も2020年東京オリンピックのメイン会場となる新国立競技場の駐車場用地として2019年ラグビーW杯が行われた後に取り壊されることが決まっている


青山の女子学習院が米軍に接収された後に米軍関係者の駐車場として利用されていたことを知るとラグビー場に係る因果関係のようで何とも言えない気持ちになってしまった



2016.10.25
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