コラム~成蹊ラグビー
僕の好きな往年の名選手Vol.1
2016/12/06(火) 00:00
今、仕事中なのだが、入替戦のことを考えると色々なことに思いが募り、居てもたってもいられなくなるので・・・・・子供の頃に憧れた選手を紹介したい
(1)ジェラルドデーヴィス(Gerald Davis)
1970年代のウエールズ代表のWTB
・当時レッドドラゴンと言われた世界最強チームのウエールズ代表
・彼よりもガレス・エドワーズ(SH)、フィル・ベネット(SO)、JPRウイリアムズ(FB)、JJウイリアムズ(WTB)といった面々の方が有名なのだが、僕は外人としては小柄(170cm)ながら人に強く、しかも足も速いデービスの方が圧倒的に好きだった
・1975年、この最強ウエールズが日本に遠征をしてきて、最終戦の国立競技場で日本代表を6vs82でぼこぼこにして帰っていき、その時にトライを量産していたのがジェラルド・デービスだったことは覚えている
(2)シド・ゴーイング(Sid Going)
1970年代のNZ代表のSH
・今の様にW杯があるわけでもなく、またTV中継も行われなかった時に奇跡的にどこかの放送局がNZvs南アのテストマッチを放映していた・・・あとから判ったことだが、この試合は当時アパルトヘイト政策でテストマッチを組むことができなかった南アに対してNZ代表が非公式に南アフリカ遠征を行った際の試合だったらしく、その後、この遠征に参加したNZの選手たちがunhappyな立場になったと言う話を聞いたことがある
・彼のプレースタイルはSHらしくパスをするというよりも自分で走り回ったりキックをして前に進めていくというどちらかというと勝手なタイプ・・今なら代表にえらばれないかも知れない
・当時、ラグビーの国際試合では乱闘シーンがお決まりのようにあって、この試合も当然に大柄なFwの選手達がタッチライン際で殴り合いをしていたところに、どこからか矢のように走ってきて相手選手を殴り倒し、また矢のように走り去っていったのが彼でそれがすごく印象的だった
・苗字や喧嘩早いところが僕と似ているのでずっと覚えている選手
(3)藤原 優
日川-早稲田-丸紅WTB
・大学入学時点ではCTBだったが、2年時の途中からWTBに転向、1学年上のFL石塚主将、FB植山と早稲田黄金期を代表する選手で、1975年日本選手権近鉄vs早稲田、坂田vs藤原の新旧WTB対決でトライ寸前の肉離れのアクシデントが思い出される
・平尾誠二氏に抜かれるまで最年少日本代表選出記録を有していた日本を代表するWTBで100mを10秒台で走り、かつ鍛え抜かれた上半身でタックラーをかわすというか吹っ飛ばしながら豪快に走り抜けていく当時のあだ名が『アニマル』
・おそらく今いたら間違いなく日本代表に選出されW杯で大活躍してトライ王になれると思っている
(4)ジャン・ピエール・リーヴ(Jean.Pierre.Rives)
1980年代のフランス代表主将
・ポジションはフランカー、金髪をなびかせ180㎝に満たない小柄な体ながら鋭いタックルと高い運動量のシャンパンラグビーの体現者、常に先頭に立って身体を張り続けていたまさに『闘将』という言葉がぴったりの選手
・彼には誰もが知っている有名な言葉があるので、この機会に彼の母国語であるフランス語で記載したい
『Le rugby permet aux enfants de jouer comme des grands et aux adults de redevenir des enfant』 ラグビーは少年をいち早く大人にし、大人にいつまでも少年の心を抱かせる
本当に名言だと思う
色々と思い出していると懐かしくなってくる
当時ラグビーマガジンは季刊(3か月に1回の発売)だったので情報収集に飢えていただろうし、ビデオも普及していなかったので自分の心と目に何とか焼き付けようとしていたので鮮明な記憶として残っているのかもしれない
あのころの様に純粋にラグビーを思い、追及していた自分ではなくなってしまったが、自分にとって家族の次に大切な成蹊ラグビーについては常に真剣に向き合いたいと思っている
2016.12.6
SRFC
GM Taro.s
(1)ジェラルドデーヴィス(Gerald Davis)
1970年代のウエールズ代表のWTB
・当時レッドドラゴンと言われた世界最強チームのウエールズ代表
・彼よりもガレス・エドワーズ(SH)、フィル・ベネット(SO)、JPRウイリアムズ(FB)、JJウイリアムズ(WTB)といった面々の方が有名なのだが、僕は外人としては小柄(170cm)ながら人に強く、しかも足も速いデービスの方が圧倒的に好きだった
・1975年、この最強ウエールズが日本に遠征をしてきて、最終戦の国立競技場で日本代表を6vs82でぼこぼこにして帰っていき、その時にトライを量産していたのがジェラルド・デービスだったことは覚えている
(2)シド・ゴーイング(Sid Going)
1970年代のNZ代表のSH
・今の様にW杯があるわけでもなく、またTV中継も行われなかった時に奇跡的にどこかの放送局がNZvs南アのテストマッチを放映していた・・・あとから判ったことだが、この試合は当時アパルトヘイト政策でテストマッチを組むことができなかった南アに対してNZ代表が非公式に南アフリカ遠征を行った際の試合だったらしく、その後、この遠征に参加したNZの選手たちがunhappyな立場になったと言う話を聞いたことがある
・彼のプレースタイルはSHらしくパスをするというよりも自分で走り回ったりキックをして前に進めていくというどちらかというと勝手なタイプ・・今なら代表にえらばれないかも知れない
・当時、ラグビーの国際試合では乱闘シーンがお決まりのようにあって、この試合も当然に大柄なFwの選手達がタッチライン際で殴り合いをしていたところに、どこからか矢のように走ってきて相手選手を殴り倒し、また矢のように走り去っていったのが彼でそれがすごく印象的だった
・苗字や喧嘩早いところが僕と似ているのでずっと覚えている選手
(3)藤原 優
日川-早稲田-丸紅WTB
・大学入学時点ではCTBだったが、2年時の途中からWTBに転向、1学年上のFL石塚主将、FB植山と早稲田黄金期を代表する選手で、1975年日本選手権近鉄vs早稲田、坂田vs藤原の新旧WTB対決でトライ寸前の肉離れのアクシデントが思い出される
・平尾誠二氏に抜かれるまで最年少日本代表選出記録を有していた日本を代表するWTBで100mを10秒台で走り、かつ鍛え抜かれた上半身でタックラーをかわすというか吹っ飛ばしながら豪快に走り抜けていく当時のあだ名が『アニマル』
・おそらく今いたら間違いなく日本代表に選出されW杯で大活躍してトライ王になれると思っている
(4)ジャン・ピエール・リーヴ(Jean.Pierre.Rives)
1980年代のフランス代表主将
・ポジションはフランカー、金髪をなびかせ180㎝に満たない小柄な体ながら鋭いタックルと高い運動量のシャンパンラグビーの体現者、常に先頭に立って身体を張り続けていたまさに『闘将』という言葉がぴったりの選手
・彼には誰もが知っている有名な言葉があるので、この機会に彼の母国語であるフランス語で記載したい
『Le rugby permet aux enfants de jouer comme des grands et aux adults de redevenir des enfant』 ラグビーは少年をいち早く大人にし、大人にいつまでも少年の心を抱かせる
本当に名言だと思う
色々と思い出していると懐かしくなってくる
当時ラグビーマガジンは季刊(3か月に1回の発売)だったので情報収集に飢えていただろうし、ビデオも普及していなかったので自分の心と目に何とか焼き付けようとしていたので鮮明な記憶として残っているのかもしれない
あのころの様に純粋にラグビーを思い、追及していた自分ではなくなってしまったが、自分にとって家族の次に大切な成蹊ラグビーについては常に真剣に向き合いたいと思っている
2016.12.6
SRFC
GM Taro.s