コラム~成蹊ラグビー

新宿の男。

2010/10/03(日) 01:12


その日、雨の狭間の緩い陽射しの中、私は妻と蕎麦屋にいた。オーダーは「カレーライスと蕎麦のセット」
妻との会話の切れ目に、ここぞとばかり直前に購入したラグビーマガジン11月号を開く。
 
いつものとおり、まずは目次をめくり藤島大さんのコラムを...それは目を射られるごとくいきなり飛び込んできた。緑の上に躍る「黒と赤」。まぎれもなく、成蹊のジャージだった。題名には「新宿の男。」とある。
まさか!落合信之!本人でなくとも刺激的な大文字。
 
私の知る後輩が、コラムで取り上げられ賞賛されること。それもラグビーマガジンの「DAI HEART」。
嬉しいじゃないか。我が幸運のごとく、天に、いや何より「藤島大」に感謝する。
 
2010年度開幕戦。猛虎に勇敢に刺さり続けた「成蹊の男。」たち。 落合のみならず、「石神井の男。」亀井の奮闘、三浦豪と三浦嶺の切れ味鋭いプレーも、その気持ち込めたプレーが取り上げられた。残念ながらその日の私はテレビでの観戦であったが、画面から伝わる成蹊ラガーの気迫にひたすら痺れ、震えた。横で見ていた正座の小学3年生坊主は幾度も叫声を上げた。
 
J SPORTSの解説は藤島大さんであったから、当該コラムについては「目利きのライター」に訴える機会があった幸運は強運のうち。しかし、私に身内の贔屓が混ざることは承知で、それでも尚、縁の下のスタッフ含めた全員であの日を迎え、立派に健闘したことに間違いはない。
 
ラグビーマンとして名前が活字になることとは...。ともすれば、その分岐点は著名であるか否かに偏りがちである。しかし、これまでの藤島氏のコラムを見れば、煌びやかなビッグネームに偏ることはない。むしろ、その他多くの無名なラグビーマンや、大舞台の脇にたたずむ偉大なサイドストーリーにこそ、筆が滑らかであると感じるのは素人の邪推ではあるまい。
 
こんな私の駄文がなんの影響も持たないことを知りつつ。よきラグビーのエッセンスを紡ぐ、珠玉のラグマガコラムをまとめた「大魂」(藤島大 ベースボールマガジン社)はお勧めである。その大味(失礼!)な書名からは想起され難いけれど、プレーする者、観る者、そして指導する者のすべてを揺さぶるコラムがいっぱいである。そのひとつひとつは、必ずや多岐にわたるヒントとエネルギーをもたらすはずだ。私のような「ラグビー阿呆」に、人生の一大決心させるくらいの琴線破壊力は十分である。
 
改めて思う。寛容と観察力に富んだ人間の思いがそのまま文章になったなら、そのコラムの力は強大だ。
あの「新宿の男。」に登場した、「著名ではなくとも偉大な」他校のラグビーマン達にも、大きな力をもたらしたに違いない。

落合信之よ、コラムの件は従兄弟に知らせたか?!そして「大魂」は読んだか?!
 
私はあの日の「カレーライスと蕎麦のセット」の味を覚えていない。
 
 
余談...私は高校時代に都立新宿高校と対戦したことがある。トイメンは激しくあたり、しぶとく絡んでくるいやなLOだった。その見覚えのある顔は試合中に思い出された。野球部であった中学時代に対戦した、新宿区立淀橋中学のキャッチャーだった。私にとっての「新宿の男。」は、ただ書きたくなった遠い記憶である。