コラム~成蹊ラグビー
あれから14年
2025/03/11(火) 13:03
あれから14年
あの日僕はたまたまグランドに居て就活を始めた新4年生の状況をヒアリングしていた
一番気になっていた部員が第一志望先の筆記試験に合格していたのでホッとしていた矢先にものすごい音と共に揺れ始めた
いつもなら終わるはずの揺れが収まらずどんどん強くなっている
西部室柔道場の窓ガラスが割れ、体育館も見た目でわかるほど波打っていた
ついに来たか!
来る来ると言われていた首都圏直下型の大地震が、まさかこんなタイミングで起るとは・・・
集団で小学生がグランドに避難をしてきて、その大半の子たちはみな抱き合いながら泣いていた
揺れが収まり、携帯で情報を得ようと調べると東北沿岸を中心に巨大な津波が襲ってくる映像が流れていた
信じられない光景だった
1年生には仙台出身の部員が2名おり、携帯がつながらないと不安そうな顔をしていた
防災特集番組でいざというときには携帯電話よりも固定電話の方が通じる可能性があると言っていたのを思い出したので彼らには守衛所前にある公衆電話から掛けてみたら?と勧めたところ2名からは家族の無事が確認できたと安堵の様子を伺えたので当面の安心を確保できた
練習どころではないので帰宅するように促したが、すでに公共交通機関は麻痺をしており帰宅困難者が出現していた
吉祥寺駅もカオス状態だったので高井戸の自宅マンションまで歩いて帰宅
帰宅後の室内の状態を想像して覚悟を決めていたが、幸い免震構造のマンションであったので室内は外出前と全く変わっていなかった
しばらくすると帰宅困難となった数名の部員が我が家にきて震災の状況が映されているTV画面を興奮しながら観ていた
震災後の翌年に財務省が立ち上げた「東日本大震災事業者再生支援機構(CREB)」の職員公募に応じ5年間只管に震災事業者と向き合い彼らの再生を金融面で手助けしてきた
あの時ほど自分の中で国家的危機意識が高まったことはなかった
あれから14年
風化してきているとは思わないけれど忘れつつあるのも事実だ
震災は忘れたときにやってくる
南海トラフ首都圏直下型大地震が明日にでも起こるかもしれない
だって2011年3月10日には誰もそんなことが起こるなんて思ってもいなかったのだから
この機会にもう一度身の回りの防災用品、避難場所(避難場所以外で家族が集まれる場所)、万が一の連絡先などの確認をするべきだと思う
そういう意味では年に一度3月11日がやってくることは大切なことである
2025.3.11
SRFC Taro.S