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第4回 成蹊ラグビーOB訪問企画 山崎大樹さん
2021/09/17(金) 11:30
日頃より成蹊大学ラグビーフットボール部にご支援、ご声援いただきまして誠にありがとうございます。
マネージャー4年石井はる陽、2年山田彬乃、1年太田千菜美です。
メールマガジン第4回目の配信です!
今回は「成蹊ラグビーOB訪問企画」の記念すべき第一回として現OB会常任委員長の山崎大樹さんにインタビューさせて頂きました。
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「成蹊ラグビーOB訪問企画 ~ビジネスシーンで活躍されるOB 第一回~ 山崎大樹先輩(85年大卒)」
山崎大樹さん 成蹊中・高を経て大学1985年卒業、ポジションはフランカー 現OB会常任委員長
ご勤務先:三菱電機株式会社 執行役員 半導体・デバイス半導体本部 第一事業部 事業部長
1985年三菱電機株式会社へ入社、以来半導体事業に従事し、2003年に三菱電機、日立製作所の半導体事業再編で設立されたルネサステクノロジに移籍、経営企画部門で経営トップの裏方として12年間同社で勤務。2015年より三菱電機に再移籍、現在に至る。
パワー半導体を担う事業部門の幹部として、全世界をまたにかけご活躍をされておられる山崎先輩に本日はメルマガ企画担当の太田(00年卒)がじっくりと熱いお話しをお伺いさせて頂きます。
太田⇒ 山崎先輩、本日はお忙しい中お時間を頂き有難うございます。記念すべきメルマガ第一回のメイン企画でもあります「成蹊ラグビー OB訪問企画 ビジネスシーンで活躍されるOB」の取材にご快諾、ご協力を頂き有難うございます。
今回この企画は、成蹊ラグビー出身のOBが社会人になられ、どの様にご活躍されているか?その内容を将来のご自身やご子息の姿と重ね合わせ、現役や父兄の皆様からの是非知りたいとの非常に熱いご希望の元に始められた企画です。成蹊ラグビーを通じて培われたファイティングスピリッツがどの様に活かし、先輩がビジネスシーンでご成功になされたのか? その様な観点から今日は色々とお話をお伺いさせて頂きたいと思います、どうぞ宜しくお願い致します。
それでは山崎先輩まずは、今ご活躍されているお仕事内容の中身を我々素人にわかり易くお聞かせ下さい。
山崎さん⇒ 現在はご紹介いただいた通りパワー半導体の販売・マーケティング部門で販売活動を統括しています。おそらく皆さまは半導体、パワーと言われても?が何個も浮んでくるのではないかと思います。
少し興味のある方はいつも利用されているパソコンやスマホの中にある半導体は電気信号としてデータを格納し、それを計算し情報処理をするという役割を果たす、プロセッサーとかメモリー素子を想像されると思います。こうしたものを人間の脳に例えると私の担うパワー半導体は筋肉になります。実際に脳の指令を受けて腕や脚を動かす役割です。大きなものでは発電所や電鉄の大型モーターや、小さなものではエアコンをきめ細かく動かす為に使われています。最近では電気自動車が急速に普及していますが、これを動かすモーター駆動にも使われています。
三菱電機はパワー半導体の中でもそれを使いやすく組み立てたモジュールに注力し、ライバルのドイツメーカーと僅差でグローバル1・2位を争っています。そのパワー半導体を使って発電・送電装置、電鉄車両、電気自動車から小さなものではエアコンまで、全世界のお客様に製品をお届けすることが私の職務になります。半数が日本、半数が海外のお客様であり欧・米・中・亜の様々なお客様とお取引をしています。今年は1800億円の売り上げを目指しています。今コロナ禍でお客様との打ち合わせもオンラインですが、以前は国内、海外のお客様とのコミュニケーションで飛び回っていました。
太田⇒ なるほど、非常にダイナミズムで且つ責任のある大変なお仕事かと思います。ではそのお仕事においてこれまでご自身が一番大事にされている事は、どの様な事であるか教えて頂けないでしょうか?
山崎さん⇒ 恥ずかしながら大した心構えはありませんが、強いて言うとホットなハートとクールな思考をもって事に当たるということですかね。熱くなり過ぎで周りが見えなくなると、ろくなことはない。パッションを大事にしながらも、しっかり考えるということです。これがなかなか難しいのですが、今まで散々これが不十分で失敗してきましたから(笑)
それからチームを大切にするということです。そのために大事なのは話をし、話を聞くこと。双方向のコミュニケーションです。もう一つこの点で大事なのはエンパシー(Empathy)です。辞書を引くと共感とありますが、この言葉にはお互いが違いを認識し、受け入れるという意味合いがあると解釈しています。現代はますます多様化の進む社会です。いろいろな国籍、バックボーンの人が深く関わりあっています。一つのチームでもメンバーは同質ではありません。一つの目的の為にそれぞれの個性がプラスに働いてこそ、仕事は前に進んで行くのだと思います。個人で出来ることには限界があります。
太田⇒ 大事な事は「ホットなハートとクールな思考を持ちながら事に当たり、そしてエンパシーを持ってチームを大切にする」という事ですね、この辺りのお話はこれから社会人になる学生だけでなく我々も含めた後輩社会人にとっても非常に為になるお話かと思います。
会社内でも重要なポジションを歴任され成功だけでは無く、これまでも大変なご苦労をされておられると思います。これまでの社会人生で一番辛かったことはどんな事でしょうか?コンプライアンスに違反しない程度でお答頂けますか(笑)?
山崎さん⇒ 統合会社であるルネサスでの経験は苦労した時代の一つです。発足時は会社の仕組みを作り上げないといけない中、異なる仕事の仕方をしてきた組織を一つにまとめて行くというのはなかなかの苦労でした。より良い形に近づけるために全く新しいやり方を導入するには、一から作り上げる大きな労力が必要です。そんな時間とリソースは割けないとすると、2社のどちらに寄せるかという現実的な話になりますが、場合によっては取引業者の利権も絡んできます。当時はそうした出身会社同士の対立が、表に裏にありました。何十人もの会議場で罵倒を浴びせられたりもしました。
その後その統合会社もようやく一体感が生まれて行く中で2008年のリーマンショック、2011年の東日本大震災を経験しました。震災時は茨城県の工場が被災し稼働が完全に止まりました。この時は自動車メーカーなど全世界のお客様の生産がストップする危機となり、連日新聞やテレビに大きく取り上げられました。やがて震災からは復旧しましたが、失った売り上げが戻らず資金がショートする危機となりました。この時同じような半導体統合会社であったエルピーダメモリーが、会社更生を適用し倒産しました。この経営危機に際し、会社立て直しの資本政策のためスポンサー交渉、監督官庁や銀行との調整に日々奔走しました。この時も毎週月曜日の朝刊の一面に連載記事のように連日取り上げられ報道されました。この時期あるタイミングで決算発表の記者会見に財務役員とともに経営企画の代表として出席しましたが、大手放送局のテレビカメラが数台、カメラのフラッシュがピカピカ光る中で会見場に入場しとても緊張したことを思い出します。
スポンサー探しでも米国の大きなエクイティーファンドの交渉団数十人にビジネスの査定を受け出資交渉したり、スポンサーの選定を巡って大口の顧客である日本を代表する会社の一つから呼び出されて、社長と二人で大変な勢いで叱責を受けたりと心穏やかでない日々を過ごしました。最終的にスポンサーが見つかり、現在ではルネサスも再建期を乗り越え次のステージに進んでいます。会社を去った今となってもつくづくほっとすることころです。ただそこに至るまでに多数の工場や事業の閉鎖、売却などが必要であり多くの仲間が会社を離れざるを得なくなったつらい時代を経ての今日であることは決して忘れられません。
太田⇒ まさにドラマや映画で見る企業作品そのまま出てくる様なお話で、我々の一連のストーリは新聞やニュース等で知っておりましたが、そのど真ん中に山崎先輩がいらっしゃったとは非常に驚きです。ここでは書けない事もあるかと思います、私自身も興味が尽きませんし、これを読んでいる読者でも、もっと詳しいお話を聞きたい方も多いはずです。コロナが明けたら是非一杯やりながらもっと詳しいお話を私にはお聞かせ下さい(笑)
その様な精神的のもかなり追い込まれた状況下、やはり成蹊ラグビーで鍛錬された精神力が活かされる場面もあったのでは?いやあって欲しいと私個人的には思っております、どの様に乗り切られたのでしょうか?
山崎さん⇒ ひとの心持として積極的な状態と消極的な状態を四象限に整理して、ポジティブ ハイとポジティブ ロー、ネガティブ ハイとネガティブ ローという分け方をすることがあります。私のラグビーはネガティブ ハイな側面が強かった。私の大学時代のトップは平尾や大八木の同志社、関東一は慶応、早・明はもちろん朽木や葛西といったジャパン級を擁す日体大、赤い旋風の帝京などなど大学ラグビーのひとつの黄金期でした。そんな中で分厚い壁のような相手と試合する時には「この野郎、くらいついてやる!」ということで自分を奮い立たせてゆかないと、とても平常心では望めないような感覚でした。このネガティブなハイ状態でもいわゆるアドレナリンが分泌されてパワーが湧き出てくるという感覚があります。先ほど述べた会社の厳しい状況においても同じようにアドレナリンが出ていたように思えます。
また当時の両フランカーは両ロックと共にすべての接点に参加するのが基本の役割でした。そのくらい人数をかけないとルーズでボールを取れませんでしたから。そのためかゲーム全体を俯瞰するという意識よりもいつも次の接点、その次の接点という視点の連続でホットなハートを先行させることが全てでした。
会社の難しい局面でクールなマインドを合わせ持たないとホットなハートだけでは乗り越えられないということを経験し、学生時代に比べて少しは成長したと思います。目的を見据えてその成就というポジティブハイな状態に持って行くことが、一番良いのだと思います。このマインドセットで学生時代に戻ったらもう少しプレーの深みが出たのではとも思ったりします(まあ多分無理だな、、、と仲間はいいそうですが(笑)。しかしやはり厳しい局面ではその困難に立ち向かう、切り抜けるというという圧がかかりますから、このこん畜生根性(現代ではNGワードですが)を持ってやり抜くことができたと思います。
(山崎さん現役時代の同志社戦)
太田⇒ なるほど、そうだったのですね?その様にラグビーと同じ厳しい局面を乗り切るビジネスマンとしてのすべを身に着けられ、そしてそれを通じご自身が成長される。この幾つもの難しい危機を成蹊ラグビーのファイティングスピリッツを持って克服し、目標を達成させるお姿。まさにこれを読まれている親御さん達がご子息たちになって欲しい姿なのではないかと思います‼
他に先輩のビジネスシーンの中で、ラグビーをやっていて本当に良かったと思われたエピソードがあればお聞かせ下さい。
山崎さん⇒ 今はコロナ禍で休止していますが、OB練習会というのを最近まで月1~2回続けていました。この練習会は長い間中高の監督をされていた故渡邊先生のお宅に年賀に伺った際に「おいお前らもそろそろグランドに戻って顔見せろ」とおっしゃられ「わかりました。近い年代誘っておっさん練習会やります」と言って始めたものです。この練習会は2010年?・・・だったかな????から10年近く続けました。仕事の厳しい時もこの練習会でラグビーボール触って、少し体を動かく程度でも心持は軽くなり、なんだか爽やかに気分になります。もちろん昔からの仲間と練習後に尾張屋さんで、しこたま酒を飲んで他愛もない話をすることも大事な精神安定剤となります。もちろん現役の皆さんともこの練習前後に少し交流したりできますから、現役の試合応援でも彼らとの距離がより近くなったようにも感じました。もう私も相当にいい歳なのでコロナ禍が明けたら誰かが引き継いでやってくれないかと期待しています。たまにはボール触り、肩当てたいですし。
太田⇒ やはり我々ラガーにとっては”体を当てる”事は基本ですよね!この感覚良くわかります!私もこのOB練習会何度か参加させて頂き、何代も離れた大先輩たちと一緒に走り、当たりそしてお酒を共にする場は何にも代えらぬ至福の時間でした。残念ながら我々の憩いの場「尾張屋」はもうありませんが、コロナが落ち着いたら是非またご一緒させて下さい。
それでは最後になりますが、学生とこれを見られている父兄の方に先輩からメッセージをお願い致します。
山崎さん⇒ 一昨年、大変悔しい思いで立教大学との入れ替え戦を終えたわけですが、昨年はコロナ禍により活動を大幅に制限され雪辱を果たす機会もありませんでした。會田キャプテン、チームの皆さんでつらい一年間をよく乗り越えてくれたと思います。今年も先行きは全く不透明なままですが、必ずやその日は訪れるとの信念で日々そこに向けて進んでほしいと思います。諸藤キャプテンの重圧は昨年にも増して高まってきていると思います。チームの個々人が互いを理解し、Empathyをもって良いことはもちろん悪いことも受け入れ、尊重しひとつの目的のためにチームのパワーを最大化して欲しいと思います。熊谷ラグビー場でこの目で勝利を確かめられる瞬間が楽しみです。
太田⇒ 山崎先輩、本日は本企画の記念すべき第一回のインタビューにご協力頂き本当に有難うございました。成蹊ラガーから先輩の様に活躍する後輩が沢山出てくる様、我々もこの企画を続けてゆきたいと思います。
OB練習会(山崎さん前列二人目赤黒ジャージ)
OB練習会後の今は懐かしき「尾張屋二階」での楽しいひと時 (2016年6月頃)
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コロナ渦で応援してくださる皆様に直接お会いする機会が少ない状況ではありますが、皆様のご声援は選手にとって大きな力となります。
激励のコメントを下記URLのHP掲示板に是非お寄せください。
https://www.seikeiruggerclub.com/bbs_show/MODE=input&bbs_header_id=2
引き続き現役部員、そしてOBの皆様にも参加して頂く企画を配信し、創部100周年記念を盛り上げてまいります!
今後ともご支援、ご声援のほどよろしくお願い致します。
マネージャー4年石井はる陽、2年山田彬乃、1年太田千菜美です。
メールマガジン第4回目の配信です!
今回は「成蹊ラグビーOB訪問企画」の記念すべき第一回として現OB会常任委員長の山崎大樹さんにインタビューさせて頂きました。
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「成蹊ラグビーOB訪問企画 ~ビジネスシーンで活躍されるOB 第一回~ 山崎大樹先輩(85年大卒)」
山崎大樹さん 成蹊中・高を経て大学1985年卒業、ポジションはフランカー 現OB会常任委員長
ご勤務先:三菱電機株式会社 執行役員 半導体・デバイス半導体本部 第一事業部 事業部長
1985年三菱電機株式会社へ入社、以来半導体事業に従事し、2003年に三菱電機、日立製作所の半導体事業再編で設立されたルネサステクノロジに移籍、経営企画部門で経営トップの裏方として12年間同社で勤務。2015年より三菱電機に再移籍、現在に至る。
パワー半導体を担う事業部門の幹部として、全世界をまたにかけご活躍をされておられる山崎先輩に本日はメルマガ企画担当の太田(00年卒)がじっくりと熱いお話しをお伺いさせて頂きます。
太田⇒ 山崎先輩、本日はお忙しい中お時間を頂き有難うございます。記念すべきメルマガ第一回のメイン企画でもあります「成蹊ラグビー OB訪問企画 ビジネスシーンで活躍されるOB」の取材にご快諾、ご協力を頂き有難うございます。
今回この企画は、成蹊ラグビー出身のOBが社会人になられ、どの様にご活躍されているか?その内容を将来のご自身やご子息の姿と重ね合わせ、現役や父兄の皆様からの是非知りたいとの非常に熱いご希望の元に始められた企画です。成蹊ラグビーを通じて培われたファイティングスピリッツがどの様に活かし、先輩がビジネスシーンでご成功になされたのか? その様な観点から今日は色々とお話をお伺いさせて頂きたいと思います、どうぞ宜しくお願い致します。
それでは山崎先輩まずは、今ご活躍されているお仕事内容の中身を我々素人にわかり易くお聞かせ下さい。
山崎さん⇒ 現在はご紹介いただいた通りパワー半導体の販売・マーケティング部門で販売活動を統括しています。おそらく皆さまは半導体、パワーと言われても?が何個も浮んでくるのではないかと思います。
少し興味のある方はいつも利用されているパソコンやスマホの中にある半導体は電気信号としてデータを格納し、それを計算し情報処理をするという役割を果たす、プロセッサーとかメモリー素子を想像されると思います。こうしたものを人間の脳に例えると私の担うパワー半導体は筋肉になります。実際に脳の指令を受けて腕や脚を動かす役割です。大きなものでは発電所や電鉄の大型モーターや、小さなものではエアコンをきめ細かく動かす為に使われています。最近では電気自動車が急速に普及していますが、これを動かすモーター駆動にも使われています。
三菱電機はパワー半導体の中でもそれを使いやすく組み立てたモジュールに注力し、ライバルのドイツメーカーと僅差でグローバル1・2位を争っています。そのパワー半導体を使って発電・送電装置、電鉄車両、電気自動車から小さなものではエアコンまで、全世界のお客様に製品をお届けすることが私の職務になります。半数が日本、半数が海外のお客様であり欧・米・中・亜の様々なお客様とお取引をしています。今年は1800億円の売り上げを目指しています。今コロナ禍でお客様との打ち合わせもオンラインですが、以前は国内、海外のお客様とのコミュニケーションで飛び回っていました。
太田⇒ なるほど、非常にダイナミズムで且つ責任のある大変なお仕事かと思います。ではそのお仕事においてこれまでご自身が一番大事にされている事は、どの様な事であるか教えて頂けないでしょうか?
山崎さん⇒ 恥ずかしながら大した心構えはありませんが、強いて言うとホットなハートとクールな思考をもって事に当たるということですかね。熱くなり過ぎで周りが見えなくなると、ろくなことはない。パッションを大事にしながらも、しっかり考えるということです。これがなかなか難しいのですが、今まで散々これが不十分で失敗してきましたから(笑)
それからチームを大切にするということです。そのために大事なのは話をし、話を聞くこと。双方向のコミュニケーションです。もう一つこの点で大事なのはエンパシー(Empathy)です。辞書を引くと共感とありますが、この言葉にはお互いが違いを認識し、受け入れるという意味合いがあると解釈しています。現代はますます多様化の進む社会です。いろいろな国籍、バックボーンの人が深く関わりあっています。一つのチームでもメンバーは同質ではありません。一つの目的の為にそれぞれの個性がプラスに働いてこそ、仕事は前に進んで行くのだと思います。個人で出来ることには限界があります。
太田⇒ 大事な事は「ホットなハートとクールな思考を持ちながら事に当たり、そしてエンパシーを持ってチームを大切にする」という事ですね、この辺りのお話はこれから社会人になる学生だけでなく我々も含めた後輩社会人にとっても非常に為になるお話かと思います。
会社内でも重要なポジションを歴任され成功だけでは無く、これまでも大変なご苦労をされておられると思います。これまでの社会人生で一番辛かったことはどんな事でしょうか?コンプライアンスに違反しない程度でお答頂けますか(笑)?
山崎さん⇒ 統合会社であるルネサスでの経験は苦労した時代の一つです。発足時は会社の仕組みを作り上げないといけない中、異なる仕事の仕方をしてきた組織を一つにまとめて行くというのはなかなかの苦労でした。より良い形に近づけるために全く新しいやり方を導入するには、一から作り上げる大きな労力が必要です。そんな時間とリソースは割けないとすると、2社のどちらに寄せるかという現実的な話になりますが、場合によっては取引業者の利権も絡んできます。当時はそうした出身会社同士の対立が、表に裏にありました。何十人もの会議場で罵倒を浴びせられたりもしました。
その後その統合会社もようやく一体感が生まれて行く中で2008年のリーマンショック、2011年の東日本大震災を経験しました。震災時は茨城県の工場が被災し稼働が完全に止まりました。この時は自動車メーカーなど全世界のお客様の生産がストップする危機となり、連日新聞やテレビに大きく取り上げられました。やがて震災からは復旧しましたが、失った売り上げが戻らず資金がショートする危機となりました。この時同じような半導体統合会社であったエルピーダメモリーが、会社更生を適用し倒産しました。この経営危機に際し、会社立て直しの資本政策のためスポンサー交渉、監督官庁や銀行との調整に日々奔走しました。この時も毎週月曜日の朝刊の一面に連載記事のように連日取り上げられ報道されました。この時期あるタイミングで決算発表の記者会見に財務役員とともに経営企画の代表として出席しましたが、大手放送局のテレビカメラが数台、カメラのフラッシュがピカピカ光る中で会見場に入場しとても緊張したことを思い出します。
スポンサー探しでも米国の大きなエクイティーファンドの交渉団数十人にビジネスの査定を受け出資交渉したり、スポンサーの選定を巡って大口の顧客である日本を代表する会社の一つから呼び出されて、社長と二人で大変な勢いで叱責を受けたりと心穏やかでない日々を過ごしました。最終的にスポンサーが見つかり、現在ではルネサスも再建期を乗り越え次のステージに進んでいます。会社を去った今となってもつくづくほっとすることころです。ただそこに至るまでに多数の工場や事業の閉鎖、売却などが必要であり多くの仲間が会社を離れざるを得なくなったつらい時代を経ての今日であることは決して忘れられません。
太田⇒ まさにドラマや映画で見る企業作品そのまま出てくる様なお話で、我々の一連のストーリは新聞やニュース等で知っておりましたが、そのど真ん中に山崎先輩がいらっしゃったとは非常に驚きです。ここでは書けない事もあるかと思います、私自身も興味が尽きませんし、これを読んでいる読者でも、もっと詳しいお話を聞きたい方も多いはずです。コロナが明けたら是非一杯やりながらもっと詳しいお話を私にはお聞かせ下さい(笑)
その様な精神的のもかなり追い込まれた状況下、やはり成蹊ラグビーで鍛錬された精神力が活かされる場面もあったのでは?いやあって欲しいと私個人的には思っております、どの様に乗り切られたのでしょうか?
山崎さん⇒ ひとの心持として積極的な状態と消極的な状態を四象限に整理して、ポジティブ ハイとポジティブ ロー、ネガティブ ハイとネガティブ ローという分け方をすることがあります。私のラグビーはネガティブ ハイな側面が強かった。私の大学時代のトップは平尾や大八木の同志社、関東一は慶応、早・明はもちろん朽木や葛西といったジャパン級を擁す日体大、赤い旋風の帝京などなど大学ラグビーのひとつの黄金期でした。そんな中で分厚い壁のような相手と試合する時には「この野郎、くらいついてやる!」ということで自分を奮い立たせてゆかないと、とても平常心では望めないような感覚でした。このネガティブなハイ状態でもいわゆるアドレナリンが分泌されてパワーが湧き出てくるという感覚があります。先ほど述べた会社の厳しい状況においても同じようにアドレナリンが出ていたように思えます。
また当時の両フランカーは両ロックと共にすべての接点に参加するのが基本の役割でした。そのくらい人数をかけないとルーズでボールを取れませんでしたから。そのためかゲーム全体を俯瞰するという意識よりもいつも次の接点、その次の接点という視点の連続でホットなハートを先行させることが全てでした。
会社の難しい局面でクールなマインドを合わせ持たないとホットなハートだけでは乗り越えられないということを経験し、学生時代に比べて少しは成長したと思います。目的を見据えてその成就というポジティブハイな状態に持って行くことが、一番良いのだと思います。このマインドセットで学生時代に戻ったらもう少しプレーの深みが出たのではとも思ったりします(まあ多分無理だな、、、と仲間はいいそうですが(笑)。しかしやはり厳しい局面ではその困難に立ち向かう、切り抜けるというという圧がかかりますから、このこん畜生根性(現代ではNGワードですが)を持ってやり抜くことができたと思います。
(山崎さん現役時代の同志社戦)
太田⇒ なるほど、そうだったのですね?その様にラグビーと同じ厳しい局面を乗り切るビジネスマンとしてのすべを身に着けられ、そしてそれを通じご自身が成長される。この幾つもの難しい危機を成蹊ラグビーのファイティングスピリッツを持って克服し、目標を達成させるお姿。まさにこれを読まれている親御さん達がご子息たちになって欲しい姿なのではないかと思います‼
他に先輩のビジネスシーンの中で、ラグビーをやっていて本当に良かったと思われたエピソードがあればお聞かせ下さい。
山崎さん⇒ 今はコロナ禍で休止していますが、OB練習会というのを最近まで月1~2回続けていました。この練習会は長い間中高の監督をされていた故渡邊先生のお宅に年賀に伺った際に「おいお前らもそろそろグランドに戻って顔見せろ」とおっしゃられ「わかりました。近い年代誘っておっさん練習会やります」と言って始めたものです。この練習会は2010年?・・・だったかな????から10年近く続けました。仕事の厳しい時もこの練習会でラグビーボール触って、少し体を動かく程度でも心持は軽くなり、なんだか爽やかに気分になります。もちろん昔からの仲間と練習後に尾張屋さんで、しこたま酒を飲んで他愛もない話をすることも大事な精神安定剤となります。もちろん現役の皆さんともこの練習前後に少し交流したりできますから、現役の試合応援でも彼らとの距離がより近くなったようにも感じました。もう私も相当にいい歳なのでコロナ禍が明けたら誰かが引き継いでやってくれないかと期待しています。たまにはボール触り、肩当てたいですし。
太田⇒ やはり我々ラガーにとっては”体を当てる”事は基本ですよね!この感覚良くわかります!私もこのOB練習会何度か参加させて頂き、何代も離れた大先輩たちと一緒に走り、当たりそしてお酒を共にする場は何にも代えらぬ至福の時間でした。残念ながら我々の憩いの場「尾張屋」はもうありませんが、コロナが落ち着いたら是非またご一緒させて下さい。
それでは最後になりますが、学生とこれを見られている父兄の方に先輩からメッセージをお願い致します。
山崎さん⇒ 一昨年、大変悔しい思いで立教大学との入れ替え戦を終えたわけですが、昨年はコロナ禍により活動を大幅に制限され雪辱を果たす機会もありませんでした。會田キャプテン、チームの皆さんでつらい一年間をよく乗り越えてくれたと思います。今年も先行きは全く不透明なままですが、必ずやその日は訪れるとの信念で日々そこに向けて進んでほしいと思います。諸藤キャプテンの重圧は昨年にも増して高まってきていると思います。チームの個々人が互いを理解し、Empathyをもって良いことはもちろん悪いことも受け入れ、尊重しひとつの目的のためにチームのパワーを最大化して欲しいと思います。熊谷ラグビー場でこの目で勝利を確かめられる瞬間が楽しみです。
太田⇒ 山崎先輩、本日は本企画の記念すべき第一回のインタビューにご協力頂き本当に有難うございました。成蹊ラガーから先輩の様に活躍する後輩が沢山出てくる様、我々もこの企画を続けてゆきたいと思います。
OB練習会(山崎さん前列二人目赤黒ジャージ)
OB練習会後の今は懐かしき「尾張屋二階」での楽しいひと時 (2016年6月頃)
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コロナ渦で応援してくださる皆様に直接お会いする機会が少ない状況ではありますが、皆様のご声援は選手にとって大きな力となります。
激励のコメントを下記URLのHP掲示板に是非お寄せください。
https://www.seikeiruggerclub.com/bbs_show/MODE=input&bbs_header_id=2
引き続き現役部員、そしてOBの皆様にも参加して頂く企画を配信し、創部100周年記念を盛り上げてまいります!
今後ともご支援、ご声援のほどよろしくお願い致します。